Essey

すきまのあるじ

Hosting the In-between

 "ほんとうのこと" をすることは私にとって難しいことだった。小学校一年生のころ、祖父と従兄弟2人の4人で近所を散歩していた。祖父は元鉄道員で19歳の頃事故で左足の膝から下を切断して義足だった。従兄弟2人は駆けっこをしていて、ずっと先のアスファルトの向こうで子犬のようにじゃれあっている。私はなんとなく小さな声で「沙耶ちゃんは真っ白い絹のハンカチみたいな子だね」と囁いた。途端に私の体がギクシャクしだした。祖父が従兄弟と私とを比べているのだと感じたとき、なぜ従兄弟と遊ばず祖父と居たのか分からなくなってしまったのだ。なんだか後ろめたい。義足のカシャン、カシャンという音は好きだった。けれど、その "ハンカチ" ほどに潔白な優しさなんて持ち合わせていないことは、自分の身体の硬直が証明していた。私の心はそんなに白くもないし、ツヤも、輝きもない。でも祖父にはそう想われ続けていたい。その時から時折 "真っ白い絹のハンカチ" は真珠のような艶と太陽のように輝く肌理をたたえて頭の中を流れるようになった。肉眼でみたことはないけれど、祖父の声でかたどられたその情景だけは、私にとって間違いなく "ほんとう" の美しいものだった。  20代の私は、"ハンカチ" から随分遠のいてしまった。元々人と話すのが苦手で、唯一ひとりで楽しめた絵を描くことをきっかけにアートの道を志したにも関わらず、2013年の瀬戸内国際芸術祭あたりからアートプロジェクトという多くの人々と関わる仕事が中心になっていった。はじめて会う島民に嫌われまいと緊張する自分を必死に隠そうと、その場しのぎのコミュニケーションを重ねた。置いてけぼりにしてきたたくさんの本心との乖離に気が付くこともなくはなかったが、見て見ぬふりをした。はじめの頃は痛んでいた胸が、慣れてなんとも思わなくなっていった。本心と現実はみるみる速さで離れてゆき、何かを判断することさえ難しくなっていた。ただ、自分にとって "ほんとうのこと" と思う何かに出会った時にだけ、突然 "ハンカチ" が現れることがあった。もう自分とは無縁のものと思っているのに、輝きが色褪せないのが少し怖かった。  そして29歳の3月、出版社での本の最終打ち合わせ中に私は過呼吸になり倒れた。20代の集大成とも言える作品についての本で、最終入稿を済ませ、宣伝の方法などについて打ち合わせているうちに、気づいたら口論になっていた。私はうまれてはじめてその場しのぎができなくなっていた。完成間近の本を介して自分の体験を少し遠くから見ると、どうしても譲れない "ほんとうのこと" があったのだと気づいた。これまで小さなことと見過ごしてきたそりはあまりに多く、あまりに遠かったのでもう遅いとわかった。皺寄せという言葉の通り、本心を見過ごすたびに "ハンカチ" に固くついてしまった皺がもう戻らない。塊になって喉の奥に詰まっているみたいに息が苦しくなった。その日から私は「階段を踏み外して落ちそうになるときの内臓が浮遊するような感覚」が1日中2週間以上続いた。出版も延期になり、仕事もしなかった。言葉にしがたい身体の内側の疼きに、はやく身体から離れたいと願う日々だった。  一年後、家族の献身的な看病と、良い病院の先生に恵まれ、疼きは次第に消えていった。朝から晩まで絶え間なく押し寄せていた気分の波も凪いできて、仕事も再開したが、これまで平気だったどんな小さな不安にも、手が震えだし、疼きが押し寄せ、身体だけは大きなアラートサインを出すようになった。自分の本心を見失いそうになる出来事からはなるべく逃げて、自分の身体のために少しずつ本心を伝える練習をした。そのとき心の支えになっていたのは高校3年生から書き続けていた〈自分の聖書〉だった。常に肌身離さず持ち歩いたその聖書にだけは、"ほんもの" と思うことしか書かなかった。白いページをみると、自分はまだもっと本当のことをみつけることが許されていると安心した。時間はかかったが、iwao galleryと出会った頃はその荒波から5年が経過していた。はじめて訪れたギャラリーはなぜか "真っ白い絹のハンカチ" のイメージが離れなかった。個展が決まったとき、この場所では "ほんとうのこと" ができると思った。心の中のコントロール不能な荒波を嘆くのではなく、そのおかげで味わえている世界をささやかに祝福したい。ひたすら耳をかたむければ、どんなものでもちゃんと姿をあらわしてくれる、そんなきめの細かい場所だと思った。  しかし、いざ展示のことを考えると、意気込みすぎて何も出てこなかった。あれこれアイデアは浮かんでも、しっくりこないまま展示の3ヶ月前になってしまった。ギャラリストであるIさんとは何通か大切な言葉をメールで交わしていたが、ますます意気込みが強まるばかり。もうこれは言葉だけでどうにかなることではないと分かり、広いアトリエを借りて手元に残っている作品や大切な私物や収集品を一つの空間に並べてみた。6メートル幅の長細いデスクに全部一緒に広げてみる。すると不思議なことに、どこに何を置くのが正しいのかわかった。並べ終えるとなんらかのグラデーションになっていたが、時間でも素材でもモチーフでも区切ることが出来ない。何かの物語に要約されることに逆らってそれぞれが放つ情感が正しい位置に横たわっている。これが私だったのかと思った。無理を言ってIさんにアトリエまで来てもらうことにした。  Iさんといた時間は一瞬だった。ありとあらゆる物を介して、溢れるように対話が続いた。文字通り時間も忘れ、帰りの新幹線に間に合わなくなりそうになった。ふたりでタクシーへ全力疾走しながら、あらかじめ用意しておいた〈自分の聖書〉2冊をIさんのカバンに押し付けるように放り込んだ。誰かに聖書を託したいと思ったのははじめてだった。  アトリエに戻るとすぐにメッセージが届いた。「無事、新幹線に乗れました。虹が!」重そうな空にスゥっと虹が走っていた。写真を保存。するとまたメッセージがきた。    私はあなたの足元に 衣装を広げたい    だが私は貧しくて、夢だけしかもっていません    私はあなたの足元に、私の夢を広げました    そっと踏んでくださいね、私の夢を踏むのですから                  ーウィリアム・バトラー・イェーツ  さっきアトリエでIさんが「新幹線でふと読んでいた記事に引用されていた詩なのだけれど、なんだかこの少女、沙耶さんみたいだなと思ったの」と言って聞かせてくれた詩だった。ふと涙が溢れてきて、ふたりとも涙目になって笑った。  二人でアトリエを一周したとき、Iさんが足を止めた場所があった。正直「しまった」と思った。そこは私の秘密にしていた趣味の遊び場だったからだ。  私の趣味は〈砂〉だ。とある浜と出会ってから、砂の中からいいなと思う粒をピンセットで拾い、手づくりの宝箱に入れていくのが趣味になった。ルーペで覗き込んだり、砂を組み合わせて小さな立体を作ったり、いろんな方向から光を当てたりする。これを私は "スナアシビ" と呼んでいる。どんなに小さな粒でも全部覚えられた。選んだ砂を一つのブリキ箱に広がる砂浜に見立てて眺めると、心全体によろこびのようなものが液体のようになってじわじわと滲む。そうやって一粒から全体まで砂で遊んでいると、視覚、味覚、聴覚、触覚、嗅覚、あるいはそれ以外の感覚もすべて推し並べて一つの体感になって、五感がみじん切りになったような心地になる。  ある日、制作がうまく進まず、息抜きに "スナアシビ" をすることにした。そこは普段絵画制作のスペースだったが、砂を見るにはちょうどいい高さだったアトリエキャビネットの上に板をのせ、画材の出入り口を封じていることも忘れて、ジップロックに入った砂を撒いた。絵を描くために用意した蛍光灯を三本脚立の階段に渡して太陽のように砂を照らす。椅子をもってきて目の前に座ると砂浜の光景そのものだった。初めはその光景を眺めているだけでも十分うっとりしたが、気になる砂を見つけては集めていくようになった。いつの間にか砂場はそこに常駐し私の遊び場となった。Iさんがそれを目の当たりにする頃には、ピンセットやルーペ、ペンライト、何十本もの採取瓶やシャーレまでも揃えて、さながら何かのラボのようになっていた。  「これ、最近の趣味というかなんというか、一番気になっているのが砂で、ここでよく仕事の合間に、砂をやっているんです」となにか言い訳をするようにしどろもどろ説明した。  「私ね、ここが一番いいとおもうの。気になる。なにかとてもキラキラしてる。このことを展示にしてみたら?」意外な言葉に驚いた。思い返せば "砂をやっている" としか説明できないこの遊びは、罪悪感との戦いでもあった。目的もないのにどうしてもしてしまうもの、成功も失敗もないもの、無駄なもの。昔から何かを拾ってもって帰ってきては「何のため?」と聞かれてきてうまく答えられなかった。いつの間にか自分に対しても「何のため?」と問うようになった。 "スナアシビ" もやっているうちに時間とともに「こんな無意味なことに耽って」と、罪悪感がつのればつのるほど心臓が高鳴り体が重くなって身体に限界がやってくる。手がふるえだしたら、ピンセットを置いて振り返らずにベランダにゆき、タバコを吸って仕事に戻った。少し泣いたりもした。作品だって明確な目的があって作っているだけじゃないのに、何より自然と心惹かれてしまう私にとっての、 "ほんとうのこと" でさえ、身体がアラートサインを出すのが悲しかった。  だから「このことを展示にしてみたら?」という言葉は私にとって晴天の霹靂だった。罪悪感だらけだった遊びを肯定され、仕事にまで広げられるだなんて。そのとき一つの光景を思い出した。  それは出張中、ビジネスホテルに宿泊したときのことだった。早朝トイレに起きてベッドに戻ろうとすると窓から海が見えた。最上階だからか海は下の方で、朝の海をぼんやり見おろしていた。そのとき頭上で黒いものが勢いよく動いていることに気がついた。よく見ると10羽以上のカラスだった。ホテルの上の方から海の向かい風に向かって滑空し、また陸側へ戻っては滑空するのを延々と繰り返していた。「何のため?」。それがカラスの遊びだと気づくには時間がかかった。 "風のサーフィン" をしているのだ。カラスの数はみるみる増え、まるで大学生の男の子がたむろってはしゃいでいるようだった。うまく風に乗れたカラスと乗れなかったカラスがじゃれあっていた。そのとき私ははじめて、カラスの笑い声を「みた」と思った。表情が変化しなくとも、二羽のカラスが作る景色のありよう全体をみれば、それがどんな笑い声なのかもはっきりわかった。ガラス越しに至近距離で覗き見た彼らは終始ふざけていて、そこに「何のため?」という問いを抱くのは人間側の私だけだった。カラスの学習能力が優れていることは有名だ。年の発展により多くの野生鳥が姿を消しても、カラスはて環境に適応することで積極的に都市に進出した。生物の進化は、形態や生理機能、行動を変えてみることにより環境変化に適応することだ。私たち人間も地球の歴史の中で急激に食性や行動様式、社会構造を変え続けているが、実はカラスも同様に急激な変化を遂げているらしい。でも、木登りが大好きなこどもが筋肉を鍛えるために木登りをしているのではなく、遊んでいたら結果として腕の力が強くなってしまうように、カラスもまた進化のために遊んでいるわけではないだろう。ただ、目的のために一義的に物事を思考するのと違って、遊びには複数の視点があり、その非(上に・)真面目とも言える眼差しのなかで全身で世界を味わうことは「生きる」ことそのものだ。「何のために」生きるのかも分からないのだから。さっきまでカラスが大学生の男の子たちに似ていると思っていたがそれは違う、人間がカラスに似たのだ、と思った。カラスたちはチェックアウトの10時を過ぎてもあそびほうけていた。  「何のため?」が増え、現代に至って、社会の中で遊びの要素が極めて少なくなり、 "スナアシビ" に罪悪感を抱いていた私をIさんの一言はグッとあの日のカラスたちに近づけてくれた。それならば、この展示はとにかく真剣に遊びきろうと思った。そこから私の冒険ははじまった。  "スナアシビ" は、とある砂浜との出会いから始まった。  何もかもうまくいかなくなると私は海に行く。その時も仕事道具一式を抱えて海辺の安宿に泊まった。  瀬戸内国際芸術祭で島で暮らしをした頃から、夜、凪の海にでかけて服を着たまま浅瀬に浮かぶのが好きになった。夜の海に浮かぶのはとても難しい。浅瀬とはいえ底が見えない夜の海はやはりどうしても怖くて体のどこかが力むと沈んでしまう。そんな時は自分をクラゲだと信じ込ませる。頭も体もからっぽにして海にゆだねると無重力のベッドの上にいるみたいに浮かぶ。あたりは静まり返り、水面下にある耳から海の中の優しい風に吹かれる砂の音を細かく拾うこともできた。スカートが触手のようにひらひら舞って、波の動きを広範囲で感じ取り、体の輪郭がふやけて少し大きくなる。だつりゎくしながらも、沖に流されないように時々すこしだけ手足で水をゆっくり漕ぐ。波の力よりも注意力が勝ると途端に沈んでしまうので、抗おうとせず、空っぽの頭に必要最低限な思考力を微調整するそのバランスが重要だ。うまくいくと、海と私の内側が同じくらいの力になって、一心同体になった気持ちになる。普段もこんなふうに生きられたらおもしろいのに。ときに抗えなそうな波がきても脱力したまま、漂着物のように砂浜に何回転もしながら砂浜に打ち上げられる。そんなとき、私はいつも自分がただのものでしかないということに何故か救われている。  その日は日差しもそこまで強くなかったので、仕事の息抜きに昼間一度海を見に行った。ひとまず砂の上に座ってぼんやりした。しばらくして仕事に戻ろうと立ち上がる時に両手にぴっちり砂が張り付いていた。手を叩いて振り落とそうと思った瞬間、息を呑んだ。赤い珊瑚、小さい完璧な透明な巻貝、螺鈿の虹色、黄色い瑪瑙、水色の鉱物、透明な鉱物、紫色のウニの棘、バフンウニの緑や紫の四角い断片。砂は鮮やかな命のかけらたちで、あまりの美しさに一粒たりとも叩いて振り落とすことなんてできないと思った。  色とりどりの砂が肌の上に薄い膜をはったように地層をなして、隙間から見える肌はいつもより透明な奥行きを感じた。あきらめたような明るさと軽さで眩しく発色する貝殻などの生体鉱物や生物遺骸から成る砂と、今生きている自分の肌の湿度のコントラストに驚いた。人間はこんなに薄い肌で内臓や血管を支え、こんなにも透けているのか、と思った。  生きている自分の体と、死んでいる貝の体が一体化しているのを見ると、悲しみも喜びもおしなべて光と隣り合わせであり、無用なことなど何もないのだと思った。目に見える姿以上の大きな命の連続性の中に、究極な孤独の先に何かがあるような気がした。  渚でしゃがみ込んでいると「なにしてるの?」とおじさんに声をかけられた。一瞬なんと答えていいか困惑したが、素直に「砂を見るのが楽しくて」と答えると、「砂?」と一瞬聞き返されたが、彼は向こうの浜に桜貝を探しにきたと教えてくれた。こっちにきてごらんと砂利浜の方にいくと、さまざまな貝をひょいひょいと拾い上げて「これがスカシカシパン、トコブシ、タカラガイ、バフンウニ‥‥‥」といろんな名前を教えてくれた。そういえばこのあたりによく落ちているポップコーンのような物体がずっと気になっていたことを思い出して、拾い上げて「これはなんですか?」と聞いた。  「それは・・・、なんでもないやつだよ」  おじさんは名前を知らなかったのかもしれないが、異様に白くて固くておかしな形をしたそれが〈ナンデモナイヤツ〉という語感がぴったりな顔をしていて嬉しかった。のちに調べると「ヒライボ」という造礁生物であるとわかった。サンゴモ、あるいは石灰藻と呼ばれ、世界の沿岸域において、サンゴ礁などの石灰質の海岸地形を作り、他の生物に生育場所を与える重要な役割を果たしているらしい。生きている時は石灰質の白いポップコーンの上に赤紫色の藻をつけていて、砂浜で一際目をひくおしゃれな赤紫色の粒はこの〈ナンデモナイヤツ〉の一部だったのだと分かった。重要な役割を果たしているものほど、意外と知られていないものだ。「そんなことよりさ」とおじさんが切り出した。「砂ならあっちの浜に行ったほうが面白いんじゃないの」と右手にある山を指差した。よく見ると細い登山道があって、そこを10分ほど歩くととっても小さな浜があるらしく、そこの砂がなんだか「良い」らしい。確かにスマホで地図を見ると、山の真ん中が海側に窪んでいて、そこに小さな点のような浜が挟まっていた。一目だけでも浜を見たくて行ってみることにした。私は山へ、おじさんは反対側の浜へゆき、「桜貝あるといいですね」「俺は砂には興味はないけどな」と笑いながらさようならをした。  登山道は思いの外細く、左手に見える海は断崖絶壁でおそるおそる歩いた。小さな山だと思っていたけれど里山の気配ではなく、いろんな種類の木々が協力しあって道にトンネルをわたしていた。息も荒くなり汗ばんできたころ、丸い流木の板に水色のペンキで「浜」とだけ書かれたかわいい目印があった。下に降りようとすると木々の合間に赤い土が剥き出しになっている溝があって、時折木の根を足場にしながらずるずると滑り落ちていった。土の中にキラキラ反射する何かが混ざり始めて、なんだろうと顔をあげると、嘘をついているようにかがやく砂浜と海があった。  圧倒されて砂場に横たわる。その浜はほとんど水晶でできていた。横たわったまんま身体を傾けて砂をみてみると目の前の岩のような砂が全部透けている。時折向こうの浜で見つけた貝殻や色のついた砂粒が奥に透けて見えた。なんだか地球の底を見てしまうような気持ちになって怖くなって上を向いた。心を落ち着かせるために夜の海で訓練した全身脱力を試みたが、浮いている感覚はなかった。水晶の粒が背中に食い込む感触だけが確かで、背中の肌一枚しか存在していないようだ。透明すぎる。日常的に目にする地表でのすべては薄皮一枚でしかないと思い知る。背中の下は奥の奥までぎっしりと透明が永遠に詰まっているようだった。天国すぎて地獄のようなところだとおもった。もしも実際に天使に会えるとしてもたぶん身体に悪いのだろうなとぼんやり思った。  だんだん落ち着いてきて、景色を観察してみると、この浜は磯と磯の間にある小さな浜だとわかった。磯は硬い岩石の崖が海に接しているため、荒波が打ち寄せては返して砂などはすぐに流されてしまっていたけれど、岩陰にわずかにちゃーとや瑪瑙が挟まっていた。なぜだか流れ着く石も砂も石英質のものばかり。背後の山から渚にかけてどういうわけか小さな砂浜があり、波打ち際あたりからは大きな岩盤が横たわって礫浜のようになっている。ここにもありとあらゆる小石が挟まり、ヒトデやカニや小魚が行ったり来たりしている。かわいらしい。  礫浜と磯の間のところの岩礁に、茶碗ひとつ分くらいの大きさの潮溜まりを見つけた。干潮時に凹所に海水が取り残されたのだ。中を覗いてみるとカラフルな宝箱のようだった。色とりどりの砂の上に一匹の真っ黄色の貝を背負ったヤドカリと目が合った気がして、この隙間の家主さんだと確信して、思わず「おじゃましてます」と会釈した。  じっくり観察したくて岩礁の上で体勢を整えていた時、山のほうから人だかりが降りてきた。黄緑色の旗をもった男性が15人ほどの人を引き連れて浜にやってきた。「はい、ひとまずここで休憩です。ここの浜の透明な粒は水晶でできているから観察してみてください。楽しみながらおやつの時間としましょう」 ガイドツアーのようだった。ガヤガヤした喋り声、お化粧粉の香り、同じような色のトレッキングシューズが目に入り、浜がまるで違う場所のように様変わりした。「人間がきた」と思った。  私は黄色いヤドカリの家のとなりの岩礁に腰掛けて浜と人々の様子をぼんやり眺めていた。するとさっきの旗を持った男性が隣の岩礁に座ってタオルを取り出していた。「ツアーガイドですか?」と聞くと「うん、試験的なね。」と汗をふきながら答えた。話を聞くと彼はここが地元で15年間近隣のツアーガイドを仕事としているらしい。ツアーはまだ3分の1で、近くの有名な観光スポットがある浜まで歩いて行くという。こんな素敵な場所の近くで生まれ育ったなら子供の頃この浜で遊んだに違いないと思って聞いてみると、「いや、ぜんぜん、こないよこんな小さい浜」と信じられない言葉が返ってきた。不謹慎な話だが、わたしは交通事故があった場所ですらガラスを拾い集める小学生だった。こんな場所を知っていたらずうっと砂と遊んでいたに違いない。「でも砂がこんなにキラキラしてるのに」とつぶやくと、ふとさっきのヤドカリの時と同じように「目があった」と思った。鉱物が太陽に反射して眼球の水晶体のように丸く目に突き刺さってくるようだった。よく見てみると、その粒は完全な多面体だった。これは高温石英と呼ばれ、二つの六角形のピラミッドが基部で結合されて形成される結晶体だそうだ。地球創生の時代にマグマの中で真っ先に結晶化したもので、無重力状態で自由に成長したため、両側が尖っているのだという。風化や波浪などの作用で破壊してしまうものが多く、浜にある砂のほとんどは結晶体の破片で、稀にこのようなほとんど傷のないものがあるそうだ。  「これ、持って帰ってもいいですか?」と聞くと「もっと色々探して持っていったらいいんじゃないの、あっちの鳴き砂の浜は許可とれないけど、ここはいいよ」と名刺をくださった。彼は「さぁみなさんそろそろいきますよー!」と大声でみんなを集めた。するすると浜のあちらこちらから山の赤土の溝のほうへ人が砂時計の砂のように吸い込まれていく。足音や声が聞こえなくなってひとりきりになって、カラスも黙って飛んで行った。ぽっかりあいた浜が潮溜まりと同じだとおもった。「黄色いヤドカリ」と「わたし」は、《すきまのあるじ》だ。ふとやってきたその言葉が展覧会のタイトルとなった。  《すきまのあるじ》の英訳を考えるも、なかなかしっくりとくるものがない。今回の展示では、詩人であり比較文学研究者である管啓次郎さんとトークイベントをすることになっていた。ふと、管さんとはじめて鳥取砂丘で出会った日のことを思い出す。その日管さんは風邪を引いていて声がほとんど出なかった。一緒に砂丘の上までのぼったところで、左隣にいる管さんから、かさこそ、と紅葉が風に揺れるような声が聞こえた気がした。近づいて「すみません、なにかおっしゃいましたか?」と聞くと、景色をみたまんま、小さな声で「砂、きれい」と呟いた。そのかすかな声が、砂にぴったりで、管さんの目にうつる景色をきれいだと思った。こんなことをご相談するのは失礼かもしれないと思いながら、メキシコにいる管さんに思い切ってメッセージを送った。 >saya: 管さん、いまごろメキシコでしょうか?  今回、管さんと一緒にイベントさせていただく展示のタイトルを《すきまのあるじ(隙間の主人)》としました。候補はいろいろあったのですが、今回は渚でみつけた小さな岩礁の窟の中にひっそり住んでいる貝や、引き潮の時に少しだけ海水がのこったところを棲家にしているヤドカリ、それとここ一年ほど魅了されてやまない砂がある小さな浜に体ごと寝そべって砂に埋もれ丸一日過ごす私のような人間、家と家の隙間に住んでるカタツムリ、メスのために一生懸命隙間に美しい巣をつくるオスドリ、岩の裏にはりつおたたくさんのフジツボ、そういう名もなき子たちの目線を借りて、やわらかい砂を隙間にしいてあげるような、かなしさもやさしさに変えられるような展示にしたいと思っています。  そこで、《すきまのあるじ》の英語を迷っていまして Owner of the gap あるいは Owner of the crack など考えたのですが、しっくり来ず思わず管さんにご相談させていただきたくご連絡した次第です。  するとすぐに携帯がピコンと鳴った。 >suga: 《すきまのあるじ》 いいタイトルですね!さすが。英語のほうは Owner だと所有のほうが強くなるので Host (=歓待する人)にしたほうがいいかも。そしてすきまを「あいだ」と考えて The Host of the In-between はいかが?また host と呼ぶとあくまでも具体的な人物になるので、動詞の意味 (うけいれ、面倒を見る) を重視してHosting the In-between とするのはどうでしょうか?人間がいてもいなくても、場所が歓待してくれるということで。  この英題を読んだ時、私はこの浜で何者でもなくなっている自分に気がつきはじめた。自然のあわいを味わいたい。人間を理解したい、私の世界をもっと知りたいという散り散りになりそうな欲望が煙のように立ち上って、ひとつの空間になった。Hosting the In-between、この魔法の言葉で「私」は、ありとあらゆる存在を歓待する「場所」になれると思った。  もう一度あの隙間をのぞく。ヤドカリは溜まった砂の上をゆうゆうと歩いていた。しかしよく見ると、家主の黄色いヤドカリをはじめその他の生き物たちが歩いている色鮮やかな砂は、いろんな生き物の死体のかけらなどから構成されていることに気がついた。赤い珊瑚のかけら、ひっくり返って青い螺鈿が光る貝、オレンジ色の小さなカニの足、割れたピンクの桜貝、カラフルなガラスの破片、子供のおもちゃのようなプラスチック、透明にかがやく水晶のかけら。生きているヤドカリが、自分と同じ生物の亡骸の上を軽やかに歩く姿を見た。ふと、最近庭に埋めた愛犬が土に還るのと、貝が砂粒に解体されていくのとは、どちらも命のめぐりに違いないが、何か大きな違いがあると思った。例えば、命の巡りを一つの球体とするならば、それを縦に切るのか、横に切るのかというような違いだ。生物も亡骸も人工物も一緒くたに混ざった潮溜まりが宝箱のように美しいと感じたのは、生きていることと死んでいることの境界線がない渾然一体となる無限の中をヤドカリがごくごく普通に歩いていたからだった。椿が落ちる瞬間も、その成熟に微妙な違いがあるように、生死のあわいすら溶けるそんな深い未分化の世界の豊穣さを感じながらにして、人はとても人間社会を生きていけると思えない。共感覚の豊かさと未分化の恐ろしさが表裏一体にあるあの潮溜まりは、生命界のみなもとのスープのようだった。この地層すべてに広がる岩盤もまた、珊瑚の形をときどきひそめていて、この微細な珊瑚の質感が、実は私をもスープのボウルのように包み込んでいるのかもしれなかった。地層に抱かれた岩、岩に抱かれた石、石に抱かれた砂、砂に抱かれた私があった。  砂はどうやって巡るのか調べていくうちに、地球の表層付近で行われる地質作用が循環的に変化することを地質学的に〈輪廻〉と呼ぶのだと知り、興味を持った。砂の輪廻は高く大きな山をつくるような硬い岩盤が長年の温度変化や風雨、雪氷の力などによって風化作用を受けて脆くなるところからはじまる。やがて岩盤は割れてくずれ、岩塊となり谷に落ち、岩塊は砕け多くの岩となる。岩は谷の川を流下するうちに、ぶつかり合って小さく割れ、磨き合い、徐々に小石や砂となりながら川を降っていき運搬され、砂はさらに川を下り海に達する。海に達した砂は砂浜をつくり、またあるものは海底の奥底の凹みまで流れ落ちて、地層として固定、固化され堆積してゆく。やがて造山運動によって押し上げられてまた大きな山をつくり、このような営みを繰り返している。  そして、砂のめぐりには生物の活動も含まれてる。例えば貝や珊瑚から溶け出した炭酸カルシウムは堆積して石灰岩を作り、マグマの熱によって変質した石灰岩は輝く大理石になる。また、地上に溢れ出た溶岩に含まれるシリカは水に溶け、珪藻類などの微生物に取り込まれ、骨格や殻などになるが、死後再び溶解して沈殿した後、オパールや瑪瑙などの貴石となる。放散虫はチャートに、サンゴや有孔虫は石灰岩に、ケイ藻は珪藻土に、鳥の糞が燐灰石に、貝殻があられ石わ方解石に、葦の根っこが褐鉄鉱に、という具合に、生物は死後長い年月をかけて鉱物と化す。そのように鉱物の巡りは地球上で無機物、有機物全てを巻き込みながら進行している。  地質学者のレイモンド・シーバーは著書『砂の科学』でこう書いている。「砂粒は魂をもっていないが、再び肉体を与えられる。堆積や埋没、隆起、侵食の各周期は砂粒を再生し、各粒子を少しずつ丸くする」  「砂の肉体」、もちろん、砂に肉などない。ただ、レイモンド・シーバーが砂粒そのものを「肉体」としかたとえられなかったのは、私たち人間があまりに「土と肉」の巡りに敏感だからではないだろうか。砂に肉はないが、人体は砂と同じような鉱物的成分なしには成り立たない。すこし大袈裟に話せば、私たち人間は毎日この浜の水晶を食べているようなものだ。この水晶、石英を形成するケイ素は鉱物界ではありふれた元素だけれど、生物界ではあまり利用されない。しかし私達の主食である稲にはオパール化した珪素が僅かに含まれているのだ。骨や毛髪に含まれるリンや硫黄は、リン酸塩鉱物や硫化鉱物として鉱物界ではごくありふれたものとして大量に存在し、人体の細胞外液の主な電解質であるナトリウムと塩素は、鉱物の岩塩と同じだ。鉄はヘモグロビンの重要な成分だが、鉄鉱石や隕石に含まれている。地球の中心は鉄の塊となっているが、人体には約5gもの鉄が溶け込んでいるらしい。5g×60億人だと30万トンにもなる。ものすごい量だ。人生と鉱物界。いのちはいつも死んだもの、ちらばったものからやってくる。そしてひとときひとつの形として集まり、道ゆきを歩んだのちに、再び死んだものへと解体されていく。私は「土と肉のめぐり」ではなく「砂と骨のめぐり」を信じてみたくなっていた。乾いた世界をこの湿った肌で本当に抱くことができたら、少しだけ命が軽くなって、もうちょっと気楽に生きていける気がした。  そんな鉱物から成る生物として自らをとらえなおした時、「いのちの全体」というものにはじめて触れた気がした。全体が部分で、部分が全体である渚の一員に、私も《すきまのあるじ》として自分が組み入れられている意味を全身に感じた。もう一度、東京のiwao galleryを見に行きたかった。Iさんに連絡すると快く受け入れてくれた。訪問すると、展示の撤収終わったところで、スケルトンな空間だった。そのとき、森からあの水晶の浜に出た瞬間の感動がよみがえった。空間にあるすべての質感にふれたいと思った。白い壁には何人ものアーティストが作品を展示して残った釘の痕跡が天の川のように散らばり、きらきらした灰色の床には多くの来客者の動線が絶えず流路を変える川の痕のような形をにじませて、大きなガラス窓の外の景色はいつだってそこを訪れる人や物や出来事に味方するつもりでいるような気配だった。ひとつとして同じ〈潮溜まり〉〈すきま〉がないように、ここもまた、この場所に必然的に関わったありとあらゆる〈あるじたち〉の気配がしみこんでいる。都会にぽっかりと空いたどこでもないようなこの空間がら多くの関係性によって育まれていったその透明な地層の連なりのようなものに、はじめてここを訪れた私は "真っ白い絹のハンカチ" をみたのだと思った。もうすでにすべてここにある。  ギャラリーを出てからの東京滞在は、目に見えない潮流に導かれるようで最終日に私は金子硝子工芸という工房の前にいた。日本で数少ない手作りの砂時計のガラス職人である二代目の金子實さんと、三代目の勲さんの工房へ訪問することが叶った。江戸っ子な實さんの砂時計に関する話を聞いていくうちに、はじめて資源的な砂を想った。砂は何千年ものあいだ私たちにとって重要な存在だった。15世紀にイタリアの職人が砂を完全に無色透明なガラスへ変える方法を発見したことで、顕微鏡や望遠鏡をはじめとするさまざまな技術が発展してから、私たちはこれまで見ることが出来なかったありとあらゆるものを知ることができるようになった。それよりも、私は實さんのつくる薄く透明な泡のような砂時計の美しさによって初めて素直に資源としての砂を原料としている。針で刻む時計と違って、滑らかに重力で落ちていく砂をこんなに感じられる透明さ。世界中の時計が砂時計だけだったら、もしかしたら私たちはもう少しだけ未分化な世界と呼吸し合えたかもしれない。重力にさからって時間が流れない砂時計に〈すきま〉でみた普遍的なよろこびを宿したいと思った。  ところがアトリエに帰って机で砂時計に入れる砂を、どのように選び取ればいいのかわからなかった。すぐに終える予定だった砂の選り分けに、何週間もかかってしまい、この文章も結果的に締め切りをずいぶん過ぎて執筆している。はじめは選り分け皿に、その砂の種類、いわば出自や名前を辿って分けた。ところが名前で分けたところで、皿の中の質感や色味はやっぱりそれぞれ異なり、かえって濁っていくような気持ち悪さがあった。どうやってもあの渚での砂とのみずみずしい出会いを再現できない、感動を増幅できない。躍起になって分別しようとすればするほど、瓶は増え、皿は増え、名札シールが増えていくと、いつの間にか "スナアシビ" は〈アシビ〉ではなく作業となっていたことに気がついた。名札シールは墓標のように見え、机の上に墓場が増えていく。そもそも未分化の世界を受け入れていた〈すきま〉を探しているのに、不可逆な時間をたどって砂になる前の生きている姿に分けるということは、もう一度死骸をつくっているようなことと同じだと気がついた。そしてこれまでの私の世界の見方は、砂を殺すような眼差しだったと気がついた。  そのときIさんがこのアトリエに来た日のことを思い出して、新幹線から送ってくれた虹の写真を思い出した。あわてて出力しじっくりとみる。そうだ唯一できることといえば色で分けることだけだった。これまで立てた墓標を全部崩して一緒くたに混ぜ、灰色にみえる砂の中から一粒一粒色をとりだしていく。それらがかつて何者であったかは、もうまったく関係のないことになった。一つ一つの皿が、あの日の潮溜まりになっていく。砂が喜びをささやきながら、溢れてとまらない。    おめでとうかなしみたち    旅立つ煙の味    おかえりのライスシャワー    乾いた雲    きょとんとして    橙(だいたい) の焚べた想いで    幸いを窓に灯して    いまもさみしいのはなぜ    いまもうれしいのはなぜ      ***    ああさっきから    からだの軽さが馴染まない    こんなにまばゆい砂の上では    生きるも死ぬも一緒くた    見えなくなっても    消せないかたち    ああそうか    世界はこんなにも美しかったんだ    光の昼の真っさい中    しんから涙があふれだす

Media 砂、ガラス、銀、ミクストメディア sand, glass, mixed media
Cooperation 金子硝子工芸
Photo Jyunya Igarashi